北の社寺めぐり

北海道各地に残り独自の建築技法や歴史を持った
宮大工おすすめの社寺建築を巡り、ご紹介します。

帯広市 永祥寺 対談 第2部 

第2部 坐禅を通して得たもの

 

 

 

菅原

あの、永平寺(※注釈1)で修行されている時は、どなたかに付くんですか。

お一人の師匠みたいな方に。それともたくさんの方に師事されるんでしょうか?

(※注釈1)福井県にある日本の曹洞宗の中心寺院。1244年に宗祖道元により開山したとされる。

 

織田

一対一で教えてくださる師匠のような方は永平寺にはいませんでしたね。

基本的に生活指導所のような場でしたので、

学ぶのはもう自分でやるしかありませんでした。

 

菅原

では、坐禅がいいものだと

修行が終わった後に心の中に強くあったのはどうしてなんでしょうか。

僕らだったら、こういう建物がすごいとか。

修行中に親方に言われてきたことが後になって親方がこんなこと言っていたし、

しっかりしなきゃとか思いますけど。

お師匠さんがいないということは、

一人で坐っていて見えてくるものなんでしょうか?

 

織田

そうですね。師匠は必要だとは思います。

私が変な方向に道を外れていかなかったのは、お経のおかげでしょうね。

修行ではお経をしっかりと読みます。

普勧坐禅儀(フカンザゼンギ)(※注釈2)というものなんですが、

修行中はそれを毎晩読み上げる時間があります。

これで坐禅の心得がわかります。

それから1日平均4時間くらい、永平寺には坐禅の時間があり、

そこで私は無我という自然と自分が一体化するという感覚を体験しました。

無我というのは、我にあらずというものなんですけどね。

我というものは、私が考えているような固定化された私だけではない。

自然界と一体の存在であって、お互いに影響を与え合い、

受け合って流動的に存在している。こういった考えが坐禅をしているとしっくりくる。

自分が周りと一体化して存在している、という感覚に至るときがあるんです。

これを自分で実感して味わえたので、坐禅というのは間違いない、

しっかりと人に勧められるものだと実感しました。

(※注釈2)中国から帰国した道元が初めに著した書物。現代でいう「坐禅のススメ」。

 

菅原

坐禅というのは一人でするのか、

何人かで一緒にするものなのか、

どちらなんでしょうか?

 

織田

やはり師匠との関係性がまず絶対必要ですね。

師匠と同時に坐禅をするということではなく、

師匠の教えを受けたことがあって一人でやるのはいいでしょうね。

ただ坐禅会になるともっと違う良さがあるんです。

みんなで同じことをやって、でもみんな静かなんですよね。

静かにしていると、自分とみんなが融合していくような感じがあって、

それがいいんです。

私は一人ではやったことがないですね。

必ず僧侶と一緒にやるので。

 

菅原

関係性なんですね。その場にいる人が変わるとまた変わるんでしょうかね。

 

織田

そうですね。

坐禅会が始まると、それまで息をして動いていた人たちが一瞬で石のように、

空気のような存在になってしまうので。

ピタッと静止してしまうと私の感じ方も変わっていく、

その場の空気が一つになっていく一体感が肌で感じられますよね。

(第3部に続きます)

詳細

所在地 帯広市
名称 永祥寺 対談 第2部 
創建